■なんとありがたいことだろう

すこし迷ったが書いておくことにした。実は香川への引っ越しの最中、すごいことが起こった。鳴門で102歳で入院中の義理の祖母(妻の祖母)が大往生したのだ。

5月23日、私たちは羽田から高松空港へ向かった。視界不良の場合、大阪の伊丹空港か、羽田へ引き返すことがあるというアナウンスと事前のメールがあった。それでも日程をあらかじめ組んでいて、変更ができないから、そのまま搭乗した。

高松空港の上空、着陸を一度試みたが上昇。機長が視界不良なので上空でしばらく様子を見ると。1時間後くらいだったか、再び着陸を試みたが、やはりダメ。機中で龍神に霧を払うようにお願いしても今回はダメ。飛行機は伊丹空港に向かった。後で知ったのだが、こういうことは年に数回起こるという。

伊丹で振替乗車券をもらい、JRの岡山駅に向かう途中、妻の弟からメールがあった。祖母の様態が悪化し、医者が会わせたい人がいたら早く会わせておくようにと。

何とか高松に夜8時過ぎに着き、唯一連泊の予約が取れた小豆島のホテルに向かった。引っ越し先の自宅にはまだ荷物やベッドが届いていない。小豆島で3泊し、そこから3日かけて引っ越し先の自宅に行って引っ越し屋さんが運んでくるたくさんの荷物を受け取り、整理をするという計画。その他関係者たちとの約束があるので変更は難しい。ここで鳴門へ駆けつけても祖母は喜ばないだろう。そういう人だから。

夜9時半発の高速艇で小豆島へ。10時土庄港到着まで30分、私は遠隔ヒーリングと祈りの瞑想をした。延命十句観音経を心のなかで唱えながら。何とかもち直して、もう少し長生きしてくれれば。でももう逝く時なら、穏やかに成仏して欲しい…。

次の日、そしてその次の日、やはり時間がとれず、夜9時半から10時まで高速艇のなかで、同じように祈った。

その間毎日鳴門の儀母(妻の母)と連絡がつき、初めの日は祖母は叫んだりわけのわからないことを言っていたが、次の日祈りが効果を現してかだいぶ落ち着き、その次の日は過去の嬉しい思い出をいっぱいしゃべってくれたという。

4回目のヒーリングと祈りは高松の自宅に着いてから夜遅くおこなった。終わったのが11時をちょっと過ぎたころ。その翌日弟からメールがあって、祖母は穏やかに逝ったと知った。祈りが終わって10分後くらいのことだった。

翌日お通夜、その次の日がお葬式というので、受け取るべき荷物をすべて受け取ってから私たちは車で鳴門の実家へ向かった。1時間の距離。

お通夜。私は祖母の幸せそうな穏やかな顔を拝した。ああこれは成仏されたな。ほんとうによかった。でもまだ魂は身体に残っている。すこし生気のような、エネルギーのようなものを感じる。

次の日、家族葬で浄土宗のお坊さんがよく通る声でなむあびだぶ~とお経を唱えてくれた。私は後ろの席に座って光明のマントラをずっと心のなかで唱え続けた。すると、観音さまがやってきた。祖母の頭の近くで、じっとお経が終わるのを待ってくれている。

4年前の父の時のことが鮮明によみがえった。生き別れていたが奇蹟的に再会できた半年後、父の死(89歳だった)、その3日後。私は薄暗い遺体霊安室で、父の傍らに座ってずっと光明のマントラを唱えていた。すると観音さまが光とともに降りてきて、父の霊体をそっと抱き上げ、天界に連れて行ってくれた。その霊体は父の身体の形をそのまま残していたのを私ははっきりと見た。ありがたくて、ありがたくて、涙をたくさんこぼした。

今度も同じことが起こった。読経が終わると、私は観音さまにお願いしますと心を向けた。すると祖母の霊体は観音さまに抱きかかえられ、上に昇っていった。部屋が明るかったので、霊体の形はよく見えなかった。今度もありがたくて、ありがたくて涙がこぼれた。どうやら観音さまに宗旨は関係ない。心が通じれば助けてくれる。

棺に入れられたお顔からは生気が失われていた。読経が始まる前と、明らかに違う。魂はもう身体から離れている。でもどこか上の方から私たちを嬉しそうに見ているだろう。

2人の子供を産んで、一生懸命に一世紀を生きてきた祖母。夫は沖縄戦で戦死。その2人(妻の母と伯父)は父のことは全く覚えていないという。祖母はとても徳の高い人だった。何人もの人を助けたと聞く。

いま考えると、飛行機が伊丹に引き返さなければ、遠隔ヒーリングと祈りの時間はつくれなかった。祖母に最後に会ったのは2週間前、電話工事の立ち合いで高松に来た翌日だった。会っておいてよかった。一連のこの出来事に、私は大いなるものの手配を強く感じる。なんとありがたいことだろう。